マレー半島計画編、最初からはこちらへ
2016/05/02
マレーシア・ジョホール州ポンティアン ~ ジョホール州バトゥパハ
この日はポンティアンの宿からスタート
適当に起床してフロントに降りて行く
ここの宿、昨日は90数RM支払い、高いと思っていたがどうもデポジットが含まれていたようで鍵を返却するとおっちゃんが20RM紙幣を返してくれた
ポンティアンの街
面倒なので朝食はそこのマックで適当に済ませ走り出すことにする
マックといえどなにかしら違いはあるんじゃないかと期待はしたがメニューも味も日本で流通してるものと全く変わらなかった
さてこの日の行程だが、まずはいったん南下。
なぜなら実は南下した先にユーラシア大陸の南端、最果てタンジュンピアイがあるからである
そこまで寄り道した後に再度この街まで戻り北上することになる
この行った道をまた戻るという行為は結構めんどくさい
仮に車だったとしてもめんどくさいので人力ならなおさらだ
さっそくポンティアン始点の国道95号線を南下
ポンティアンから1kmも行かないうちにさっぱりした景色になり、やはり海外というのは街とそれ以外の境界がはっきりしているような気がする
その辺はむしろ無秩序に街が拡大している日本の方が稀なのかもしれないが
民家のまばらな道を20km進めばククの街
ここからはJ111号で更に10km程南下
となりのマラッカ(メラカ)州ではMという文字が付く道があることから察するに、この頭文字のJというのはおそらくジョホール州のことでつまり州道なのだろう
国道にせよ州道にせよいずれもインフラはかなり高い質で仕上げられており25、23cのタイヤでも全く問題なく走れそう
というか路面の質に関しては全く日本国内を走るモノと同じ感覚で走っても問題ないだろう
そんなわけで更に10km
クク以降は南下するに従い家はなくなり終いにはアブラヤシが生えるのみの農道みたいな地域になってしまった
コモドドラゴンみたいな体長1mオーバーのトカゲがいるのにビビったりもしたが無事到着
立派な石碑があった。シンガポール島の方が南には位置するのだがシンガポールは大陸ではなく島なのでここがまぎれもないユーラシア大陸の最南端となる
ここがなんなのかというと、一応自然保護公園の類のようで海際の本当の最南端に行くには入場料がかかる
そこそこ広い駐車場に自転車を停めここからは歩いていかなければならない
ここの石碑でもそこそこ素的だが
入口の前には料金が書いてある立て看板がある。それによると大人は5RM
せっかく最南端にきたのだからそれくらいは気前よく払おう。
さっそく中に入るべく入口窓口のねえちゃんに声をかける
「最南端に行きたいんだけど?」
「ハローどこから来たの?」
「日本だよ」
「20RMよ」
・・・
・・・
「ワッツ!!」
まあこんな会話だった
これはボられてるのだろうか?
そこの看板に5RMて書いてあるのに露骨すぎやろと思ったがなんでもNonマレーシアンは20RMなのだと説明してくれているようだ
それでもボられてるのではないかと疑念があったものの渋々支払うと入場半券には
[ ADULT(NON-MALAYSIAN) RM20.00 ]
と確かに刻印されてあったのでそういうことなのだろう・・・
にしても高い、せめて10RM程度にしてほしい
日本には外国籍だと入場料4倍になる施設なんてあるのだろうか・・?
最南端に行く前に公園入口建屋にてこの公園の植生、マングローブなどの説明がある
一応は自然保護公園、その一角にあった看板で再度この場所を確認
世界で最も大きい陸塊ユーラシア、つまりユーロ・アジアの最南端
チャリダーというとやたら最果てを目指す風潮があるが、これまで自分は国内において執拗に、好んで端を周るということはしてこなかった
結局、最端というのはその場所自体にはなんの意味もなく、そこを目指し、たどり着くまでの過程で起こる出来事に意味があるのである
もっと具体的に言うと、長旅でリムが割れ途方に暮れたりする日があるかもしれない。或いは道の駅で思わぬ仲間と再会を果たす様な嬉しい日もあるかもしれない。そんな過程を含めていろんな思いが交錯し辿り着く最果てであってこそ価値があるのである
自分にとっては、別に到達する場所は最果てである必要など無いと思っていた
だが今回のここは少しばかり意味合いが違う
なんせここは世界一大きい陸塊、ユーラシア大陸の最果て最南端の地なのである
北は北極海チェリュスキン岬、東はベーリング海デジニョフ岬、西がポルトガル、ロカ岬
そしてここ、タンジュン・ピアイ、もといピアイ岬
自分がここに来ようと思ったのはその広大な大陸のスケールを感じ、ごく単純に地理的な意味合いで興味を持ったからだ
なんせ今まで自分が旅行で渡航した国もほぼほぼすべて含む大陸の端なのである
おそらくは最北と最東は民間人では到達不可能だろうから実質来られる所はこことロカ岬ということになるだろう
そしてこの公園の先にはついに、写真中央下にあるような、地球儀の最南端モニュメントがあるのだ
建屋をでると湿地?海岸植生?の中を延々と桟橋が続いていく
写真だと涼しげに見えるかもしれないがこれが風通し最悪で湿度も高くムワッとしてて暑い
というかマングローブ自体もそこそこ広い規模で公園内を地味に歩くことになる
桟橋を歩いてしばらく行くと林を抜け視界が開け海が見え始める
さあ、もうすぐだろうか?!
いよいよ最果てのモニュメントだ
と、進んでいったのだが・・・
お?
まさかの工事中で最南端には立ち入りができない!
というか工事をしている気配すらない。今日月曜なのだが?!
地球儀が雑にその辺に転がってるしちょっと・・・これはない
まさか「最南端近辺のマングローブ」の中の桟橋を歩くために20RMも払うことになろうとは
しょうがないのでもう一つの少し西に外れた桟橋でお茶を濁しておく
向こうに見えるリアウ諸島はインドネシア領
インド洋と太平洋をつなぐ航路の要衝であるこのマラッカ海峡は多くの船舶が航行していく
なんでもここを通過するタンカーの七割?だかは日本に石油を運ぶ船なのだとか
20RMも払ったのだからなにかしらしっかり見て回らないとなかなか納得はできない(結構根に持ってる)
最後に入口までもどってきて再度スタッフのところに
事前の情報によればなんでもここで最南端到達証明書を発行してくれるらしいのだ
いつもどこへ行こうとお土産はほぼ買わないのだが今回はこれを持ち帰ろうという算段
ところがどっこいスタッフに証明証を発行してくれと問うとそのサービスは今はもうフィニッシュだと・・
もうここまで来ると笑うしかない
バンコクからここを目指して走るサイクリストは多いと思うのだけど、こんな立派な公園造るならもっと最南端ビジネスを展開してくれよ?!
やはり自分にとって「最果て」というのはただの場所でしかなかったのかもしれない
などと思いながらここを後にすることに
まあでも最南端には間違いなく来たのでよしとしよう
ククまで戻って休憩にガリガリ君的なアイスで休憩
更に走りポンティアンまで足を進める
暑いしせっかくなので途中の屋台?でも休憩を噛ましていく
これはチェンドル
トコロテンみたいなミドリの麺とココナッツミルクで構成される謎の食べ物
だがしかし、自分で注文しておいてちょっと驚いた
この食べ物はいったい衛生面で大丈夫なのだろうか??特に怖いのが氷
私、過去ネパールで、真面目に笑えないレベルで手痛い思いをしているので明らかに地雷臭いものは避けたい
避けたいのだが、出されたものを食べないわけにはいかない・・・・・・しかも自分で注文しておいて
今回は普通の旅行と大きく違って移動手段が自走。もちろん正露丸と胃薬は持ってはいるが体を壊すのは致命的な事態になりかねない。グロッキーーフル輪行の旅に早変わり☆なんてのはごめんだ
ま、全然食べるんだけどね
味はというと普通にココナッツミルクの薄ら甘い感じでトコロテン的な何かには見た目通り味は無い
これが、最初は別に、へえ・・・みたいな感想で何とも思わなかったのだが、後からジワジワくる。薄い味なのでサラッとイケてしまう。
南国のフルーツなど地のモノは体温を下げる働きがあるとは昔どこかで聞いた覚えがあるが、ココナッツもその類なのだろうかコレ食ったら一気に体温が下がったような感覚に見舞われた
「気さくな店員とその店の愉快な客達」
こんな感じの店は道沿いにいくらでもある(日本で言うとコンビニぐらいの頻度である)のでこの国で餓える心配はなさそうだが、問題なのは店によってはメニューに何があるのかさっぱりわからない点
この店は道路側にCENDOLと書いた看板があるだけだった。他の客はなんやらいろいろ喰ってはいたが
今回の旅、食に関しては全く予備知識がないまま来たので代表的な食べ物の名前くらいは覚えてくるべきだったかもしれない
それから氷の話に戻るが、これ以降の道中、ICE CUBE と書かれた冷蔵車トラックが走っているのを何度か目にしたので多分ちゃんとしたもので衛生面は思っているよりだいぶいいのだろう。
昼過ぎ、無事今日のスタート地点であったポンティアンに戻ってきた
これでおおよそ60km終了
ここから目指すは次の大きい街であるバトゥパハ、73km先である
とその前に昼飯を食いたいところ。なかなか暑いのでそこまで食欲はないのだがなにかしら胃にはぶち込んでおかねばなるまい
通りに面した食堂に入りここにはメニューの写真が店の壁に貼りだされてあったので、あのナシゴレンを1つ頼む、と肌の真っ黒な立派な口髭のマレー人おっさん店員に注文し座ってくつろぐ
「ヘイ、BOSS」
程なくすると脇を小突かれ誰かと思えばさっきの店員。(ドヤ顔気味)
手にはビニール袋に包まれた発泡トレイの弁当箱が!
ん?・・
やっちまった・・・
どうもオーダーの時に聞きもらしていたようで持ち帰りで注文していたようだ
颯爽とチャリを降りながらおっさんに注文したのできっと持ち帰りだと勘違いされたのだろう
(ちなみに街中であろうとどこの飲食店もさっきの屋台のように壁が無い造り)
そんな「旦那、お望みのモノですゼ、行くんだろ?さあ、持ってってくれよ」みたいな口髭たっぷりのドヤ顔で渡されたらここで広げて食うのも気が引けてしまい受け取ってどこか道中でいただくことにする
しぶしぶ走り出すもどうも雲行きが怪しい。食堂から数百m行ったところで行く手先の方向に空を垂直に稲妻が切り裂いているではないか?!
これがスコールか、昨日は免れはしたものの今日はそうはいかないようだ
だが運のいいことにすぐそこに大きめのバス停が!
これはなんとも都合がよいのでスコールをやり過ごす序に弁当でもいただこう
ナシゴレン
見た目はアレで写真映えはしないがスパイスが効いててピリッとなかなかうまい
一口大の骨付きの鶏肉がごろっと入っていて食い応えがある
測られたかのようにこれを食い終える頃にはスコールも上がっていた
スコールも直接当たりさえしなければいいものでこれは昨日の夕方同様に一気に加速して走れる!
通称:スコールブーストだ
なんだ、今日もヌルいな、などと思っていたがこれが甘かった
(決してぬるくは無い。毎日がクレイジーホットなのだ)
ほんの数百m進んでまったく降った形跡もなければ気温も全然下がってない件
いやいやつい今までめちゃくちゃ雷落ちてたのにどういうこと?!
数百m手前は路面もバッシャバシャよ??!!
これが・・・スコールというものなのか・・・!?
どうやっても前に進む以外の道は無いのでしょうがなく足を進める
この日の午後はほぼほぼ、上の様なただまっすぐに延びる道を延々とはしるだけだった
この日の午後行程国道5号線はまるで琵琶湖畔のように平坦
やっぱりどうやっても暑いので度々休憩を挟みヒートアップする体温を下げなければならない
ありがたいことにバス停も、国道のキロポストかよ!というくらいの頻度で存在するので日陰を使わせてもらおう
もう、かばんの中のパスポートがほっかほか
いや、気温自体はそんなびっくりするほどでもなく30℃ちょいくらいのはずなのだが。問題なのは日差しの方で赤道直下だからなのか太陽がやたらと近く皮膚がじりじりと焼かれる
そんな感じで休みながらも平坦な道をいてこましてバトゥパハまではあと10数キロというところまで来た
この残り十数キロが山岳エリアとまではいかないがアップダウンのある道になっておりここが厄介だった
途中からなかなか足に力が入らない・・・
この感覚はかなり久しぶりに受ける
まさかこれをこんなところで味わうことになるとは・・
そう、ハンガーノックだ
別に補給もそんなに怠ってはいなかったはずなのだが、ハンガーのックというよりは夏バテに近く一気に焼けすぎた日焼けがおそらく自分でも思ってた以上にダメージを受けていたのだろう
いくつかの丘を越えたところであった小売店で菓子パンとコーラを買い胃に流し込み脇の方の他の人に邪魔にならないところで突っ伏して休憩
これで少し休めばまた動けるようになるはずだ
どうにか一命を取り留めた
幸いにもそこは丘の頂上で登りも最後、そこから街までは下り坂
程なくしてバトゥパハの市街地に入った
このバトゥパハの街なのだが、走りながらも感じたのが何か他の街とは違う違和感を覚える
その違和感の正体をうまく説明ができないのだが、街の規模としてはそこそこ大きいのだがすこし物悲しいような
今朝出発したポンティアンも途中で通り過ぎた街も小さいながら人々の活気に溢れドンチャンしているように感じたのだがそれらよりもウンとインフラの進むこの街にはまるでその活気が無いように感じられる
まるでゴーストタウン、とまでいうと言い過ぎだが人もまばらでそんな風にすら感じた
この街、かつては炭鉱で栄えた町らしく、ちょっとした日本人街もあったようで詩人金子光晴がかつて愛した街でもあるとか
地球の歩き方等にも「ノスタルジックな街」とか「眠れる街」などと書かれていて、もちろん自分も日本で目を通してきているがその時は、何を意味にわからない事を書いているんだ?とか思ったのだがなるほど
たしかにここに来てその「ノスタルジックななにか」を自分の肌で感じ取ることになったのだった
路地の裏にあるMEILIN HOTEL (美輪大旅店)
奥の看板の山川が訓読み(Yamakawa)なのもかつて日本人がそこそこ居たことの名残だろうか
階段を上がった2階フロアがホテルのようで漢字から察するとおりフロントには中国系のおっちゃん
今晩泊まれるか尋ねるとクーラー付き45RMの部屋とついてない35RMの部屋があるがクーラー付きのは今日はフルだとのこと
どんな部屋か確認するか?と部屋まで見せてくれた
別に35RMなら確認するまでもなく即決なのだが
しかし中国人はキツい印象があるのに対しこの国の華僑の人というのは表情が柔らかくとても人当たりがいい
おっちゃんは自転車なのを察してくれたのか、自分が自転車をおいていいか尋ねる前に
「自転車は部屋まで上げればいいぞ?」
「どこから来たんだ?・・・そうか日本か?!」
「ツーリングはよくやるのか?台湾とかタイとかはどうだ?」
と話を進めてきた。察するにこの宿でこれまでもここを旅するサイクリスト達を泊めてきたのだろう
設備は35RMなりのものなのかもしれないがむしろ自分にはこのくらいが居心地がよい
左側のカーテン外は大通り
左壁、上方ブロック格子は外につながっているので鳥がうるさいのだがなんだか隠れ家感があってとても落ち着く
むしろなんだか前から知ってる場所、街のような気さえする不思議な感覚な夜だった
※追記
この旅において、出発のセントレアでニアミス、シンガポール~マレーシア国境越えが1~2時間差、マレー国内においても同じ街で入れ違いであったりと幾度となくニアミスを交わしたチャリダーの方がいた。
その方はヤスさんという方で連絡したところありがたいことにヤスさんの記事でも当ブログを紹介していただいたのでこちらも紹介させていただこうと思う。
そのホームページ記事はこちら
とてもわかりやすいことに当ブログ記事と時間軸を合わせて掲載していただけたのでそちらも合わせて是非