なかなか、せっかく良い機会がなかったが、自分の根底にある旅のこと、経験から感じたことをまとめてみたいと思う。
少し昔の話になるが、自分は以前2013年に仕事を辞め約半年間に及ぶ日本一周自転車旅を行った。
地元福井から4月に出発し、山陰、九州、四国とまわって再度8の字に関西から日本海を北上、北海道、東北、関東、中部と全都道府県、国内の峠等を周るという旅だ
そして、その半年間で多くのクレイジーな人と会い沢山の仲間を作ることになる(不定期ではあるが数年経った今でも未だにそんな仲間たちとキャンプやサイクリングをすることがある)
そしてこの長い旅の中で、自分の価値観を揺るがす驚く事になるのが、季節業、万年旅人という人達の存在だった。
沖縄でのきび刈り、北海道でのシャケバイト、あるいは全国各地でのリゾートバイト等、それらをハイシーズン毎に仕事しながら無期限に全国各地を転々と二輪等で旅する人達の事である
そういった人と最初に会うことになるのは、別府のゲストハウスで、その人はきび刈り(厳密にはその人は製糖工場だった)を終え本土に戻ってきたという人だった
それからも旅を進める中で度々そういった人たちと会い、それこそ北海道なんかではソレの類の人と幾度となく会うことになる
最初は、ほんとにこんな人達がいるのか、こういう生き方もあるのかとただただ驚くだけであったのだが、あまりにも多くの季節業者の存在に、旅が終わりに近づくにつれて自分も次第によくそのことを考えるようになっていった
というのは、彼らは経済的に豊かとは思えないものの、その生活をとても楽しんでいるように見えてしょうがなかった。
このまま旅を終えてまた普通の生活に戻ることが正しいのか
普通の生活というのはそれはそれで安定はしているのかもしれないが、朝から晩まで働き社会の重圧に耐える日々、という旅に出る前と変わらぬイメージのままそこにあり、
それならいっそもう違う生き方をしてもいいんじゃないのか、と疑問を抱くことになる
そのままその思いを抱え込み、旅の後半には自分自身精神的にかなりまいってしまうことになる
まあホントに長い旅をすると次第に何が何だか分からなくなることはある
ことさら仕事を辞めて旅に出たという人にはよく理解していただける心情だと思う。
そのまま旅最後の半島にあたる紀伊半島に突入。
半島を回ればあとは大阪から福井に帰るだけという状態で、この時はこのまま帰らずに、和歌山から徳島にわたって歩きお遍路にでもなってしまおうか、などとさえ思っていた
そんな状態のときに本州最南端、和歌山潮岬で再会することになるのが和歌山発の旅仲間”みたらし王子”の異名をもつヤススである
彼とは同じ日本一周チャリダーとして共に8月の青森ねぶた祭りを楽しみ共通の趣味でもあった音楽の話等で親しくなった仲であるがこの一ヶ月程前、先に旅を終え地元和歌山で真人間になっていた
「ジュンさんまた仕事も始めたよ!!!」
「バンドも再開して今すごい楽しいよ!!」
「そんな一日しか着てない服でもすぐ洗濯するよッ!」
「髪とかも大阪まで美容院行くよッ」
等々、日常のことからこっち側(旅人)をさげすむ(笑)発言まで
この時のヤススは、もう完全に旅人の空気みたいなものは身にまとっておらず、むしろもうなんかオシャレな雰囲気さえ漂わせていた
しかしこの別人の様な状態で現れた再会は逆に新鮮で、
日常の生活というのはそれはそれでとても楽しい
ごくありふれた生活でも楽しめることができる
むしろ旅人ではなく真人間だからこその楽しみもある
それを体現し、目の前でまざまざと見せつけられているような気分だった
本人は微塵もそんなことを思っていなかっただろうがこれは自分にとって大きく勇気づける出来事ことになる
旅を終えたくないと思っていたのは単純に自分が中途半端にしかしておらずそれが原因で元の生活を楽しめていなかっただけなのではないか、もっと全力でぶち込めば可能性があったのではないか
楽な方向に流れてしまっては本当に面白い経験なんて得られない
「チッキショウなんなんだよなんでそんな楽しそうなんだよ、ああいいよ、俺も旅なんてとっとと終わらせてもっとおもしろいことやってやんよ」
この時は心底そんな風に思い、あんなにも帰りたくなかった、終わらせたくない旅だったが、まずは家に帰ろう、そう改心したのだった
そして同時に
「社会人の立場であろうとめちゃくちゃ遊んでFunkyでメッタメタにおもしろいことにしてやんよ、今に見てやがれ」
思うに、もしあの時道を外れて万年旅人になっていたとしたなら、それはもう”逃げ”としての旅であって、到底旅人とはいえないような何者かになっていたかもしれない
いや、おそらく万年旅人になるという決断すらできずよくわからない中途半端な何者かになっていただろう
それから社会復帰した後の事になるが、
ここで驚かされたのは、逆に殆どの人が社会人だったということ
宗谷年越しは決して、気合いでどうにかなるとかそういった類のモノではなく安直に行っていいレヴェルの旅ではない。装備の費用等も金がかかるし、当然、北海道にアクセスするまで前述の”時間”もかかる
にも関わらず、これだけの多くの人がそれぞれの事情をクリアしこの地に足を運んでいるという事実にそれこそ「限られた時間の中での旅」を心底楽しんでいるように見えた
この一件で、その旅での「(宗谷に)来てよかった」とはまた別の意味で「(この方向性で)きて良かった」と確信することができた「また旅人に戻りたい」という人も多いし、自分もそんな気持ちはゼロでは無いことも確かだが、この記事を書きながらも再度認識し、思うのは、実際、日常というものはそこそこたのしい。たぶん
いや、これじゃよくわからんな
もちろん旅はおもしろいし、季節業、万年旅人を否定するわけではなくそういう生き方を否定しているわけではないしそれはそれでその方法を尊重はしたい。
ここまでの書いたものはできることなら旅を終える踏ん切りがついてない人たちなんかに読んでほしいと思う
きっとこれからも挑戦は続くのだろう。